2020年12月31日

嵐についてぼちぼち書く予定です

後ろ向きだけど前向きっぽい話

活動休止発表から1週間が経とうとしてますな。
まだまだ受け止めきれずに苦しんでいる人もいれば、あと2年しっかり楽しまなければ!と顔を上げている人もいるだろうね。まあまだ2年あるからさ、ゆっくり消化すりゃ良いと思う。

さて私はどうだろうと考えてみて、やはり寂しいし辛いけど、少しだけホッとしている自分もいたりする。

常々「いつか嵐が嵐を終わらせる時が来るんだろうな」ってのはどこかで意識してたというか…。まあこの数年は特に嵐にとって身近なグループ色々あったので特にそういう思いが強くなったのかもしれない。
そしていざそういう時が来た時、メンバーの思いよりもファンやスタッフ達の思いを優先して何とかやり過ごそうとしてしまうのでは?と思ったり。応援することが彼らの足枷になってしまわないかな?とか、そんなことも考えたりした。

こりゃメチャメチャネガティブな考えだけどね、嵐に限らず私は好きな芸能人のことを応援するとき、自分の「応援してます!」というひとことが別の世界で生きるチャンスを奪っているのかもしれないって思うことがあって。
言い方悪いけど「応援してます!」ってある種の呪いみたいなもんで、もし辞めたいとか別のジャンルに挑戦したいとか考えた時、「応援してくれる人達がいるから」で思考停止しちゃうこともあるんじゃないかと。もしそうなったら結果その人の将来の選択肢を奪ってしまうことになるでしょ?

嵐はさ、こちらの(もしかしたら本人達の)想像をはるかに越えてバカデカいグループになって、オタだけでなくそれはそれはたくさんの人から呪いの言葉「応援してます!」をかけられちゃう訳じゃないですか。絶対そんな状況になることは無いけど、自分が同じ立場でもし違う世界に行きたいと思っても怖くて言えんですよ、辞めたいなんて。

でも嵐は違ったじゃないすか。
なんでかな?と思ったんだけど、アレですわ、嵐自身が一番のガチオタだからではないかと。
彼らの場合、「嵐を応援してくれるファンのみんな」という言葉を話すとしたら「(俺の大好きな)嵐を応援してくれるファンのみんな」という風に注釈が入るんじゃないかと。私達が嵐とファンと思ってた発言の数々は、ご本人達の認識では同じファン同士という立場からのものだったりするのかもしれない。なにそれエモい。
そんな嵐のガチ中のガチオタであらせられるメンバーなら、「(自由を愛する大野智が好きなガチ智担として)大野さんの意思は尊重したい。でも(嵐オタとして)嵐がなくなっちゃうのは寂しいから活動休止で!」という結果になったのも納得というか。言い出しっぺの大野さんも「お休みでいいんじゃない?」という事務所側の提案に「え、そんなこと許されるの?」ってホイホイそっちを選んじゃうあたり、嵐を終わらない気満々じゃないですか(笑)

この大きな決断を会見を聞いて、今までもこれからも嵐は5人の意思でやっていく、お前の気持ちが足枷になるほど俺たちは弱かねーよ!と己のネガティブ思考(応援する気持ちが彼らの足枷になってやしないか)に対する回答を貰ったような気がする。正直ホッとしたよね。あと舐めてたよなスマン!て感じ。

頑張って前を向こう、とか言う気は更々無いけど、あの会見がこんな気持ち悪いオタクを救ってくれたのだよ、という事例を見て、少しでも気持ちが軽くなる人がいれば幸いです。
いやいやコレ逆効果じゃね?(ネガティブ思考再び)